先生と仲良くできない

学校や塾の先生と仲良くできないというお子さんも少なからずいます。今の先生は昔の先生ほど厳しさはなく生徒に親近感を持てる先生は増えてきています。半面お子さんもインターネットの普及などもあってコミュニケーションの苦手なお子さんも実際には多くいます。デリケートなお子さんも多くなりました。

先生と仲良くすることは難しいと感じています。担任の先生はクラスの30名から40名の生徒を見ています。今は副担任・副担当の先生がサポートをするようになってお子さんの選択肢は少しだけ増えました。ただいずれにしても多くの生徒を相手にしなければいけない先生にとってもすべてのお子さんとなかよくできる先生はほぼいないでしょう。これができたら神先生です。

しかも担任の先生は生徒を見ていればいいというわけではありません。授業も教えないといけない、授業のための準備もしないといけない、校長先生や他の先生との人間関係も意識しないといけない、お母様などの保護者の目も気になる、膨大な事務処理がある、成績の優劣はつけないといけない、進路などの相談にも乗らないといけない、部活動などの指導もしないといけない。これだけのことをやってすべての生徒と仲良くしなければならないということは先生にとってもハードルが高すぎます。クラスの何名かとは合わないというお子さんが出てきても何ら不思議なことではありません。

とはいってもお子さんにとって先生は学校生活を送るための大事なツールになります。特に担任の先生はお子さんとの出会いで人生の代わる方も少なくありません。とても大事なところです。ただお子さんだけでなく、先生にも好き嫌いや相性が出てしまいます。どうしても上手くいかないというところが出てきてしまいます。そうなったときでもいくつか方法があります。

担任の先生が上手くいかない場合は副担任の先生と仲良くする、もしくは中学生以上であれば得意科目の先生、男の子であれば隣のクラスの女性の音楽の先生、女の子であれば男性の体育の先生など担任の先生にこだわらずに相性の合いそうな先生と仲良くするということもできます。得意科目・できる科目のお子さんは先生が気に入る傾向が多いです。お子さんも一生懸命に勉強することが多いので先生が気に入ることもあります。担任の先生にこだわらない人付き合いをすることも1つの手です。

それも難しいなと感じた場合は校長先生、教頭先生などのお偉いさんの先生と仲良くしてしまう。少し早く登校して校長室や教頭室に挨拶に行くなどの手もありです。先生方は寄りにくいお偉いさんの先生ですが、お子さんには親近感のある先生も少なくありません。朝お子さんが挨拶に来て不快に思う校長先生・教頭先生は多くはないでしょう。お偉いさんの先生を味方にしてしまうのもありです。

それもちょっと厳しいなという場合には先輩などと仲良くしてしまうことも1つかなと思います。先輩方に気に入られる・かわいがられるというのも先生に気に入られるのと同じくらい大事な要素になります。将来大人になったときに先輩との付き合いが上手か・できないかで社会人としての人生が大きく変わることもあります。先生が無理なら先輩と仲良くするというのもありといえます。

また塾の先生の多くはお子さんを否定するところから入る先生も多いので、お子さんが先生を毛嫌いする傾向になるのはやむを得ないところといえます。お子さんはほめて伸ばすのが基本です。塾の先生には成績を伸ばすというノルマ・他塾との競合・保護者の方などからの要望などからついそこを忘れてしまう、お子さんに否定から入ってしまう先生が少なくありません。いけませんね。ただそういう先生も少なくありません。

このような先生のもとで塾に行っても成績が上がりにくいのは明白です。むしろ成績を下げてしまうお子さんが多いのではないでしょうか。ということで、お母様にはとっとと早いところで塾の変更をしていただきたいです。ほめて伸ばしてくれる先生のところに行った方が全力で勉強するお子さんも多くなります。親の変な自己満足を捨ててお子さんの成績が伸びる方向にサポートをしていただきたいです。

先生と仲良くできないということは、担任の先生にこだわることはありません。いろんな先生とトークをしてみて相性の合う先生、自分のことに親身になってくれる先生と付き合えばいいのではないでしょうか。これは小学校・中学校のみならず学習塾などでも同様です。

高校生の方も同じです。どうしても全日制の高校の先生と合わないというのであれば、通信制の高校に通って新たな先生との出会いを探すのもありといえます。通信制高校の先生の方が人間関係の縛りなども少ないので、生徒目線に立ってくれる親身な先生が多いです。

ある先生と上手くいかないという場合には人を変えてみるという方法をオススメします。これで人生の代わるお子さんが多く出るのではないかと個人的には思っています。